セキララ

 バンドサウンドとの出会いは、同級生が貸してくれたアルバム『RADWIMPS4~おかずのごはん~』に収録されている“05410-(ん)”だった。気がする。

 

 合唱コンクールの曲しか聴いたことがないような真面目チャンの頭は、次から次へとめった打ちにされた。かっこいいという言葉が出せないくらいかっこよかった。どの曲もドラム(と後で知った音)を一番追った。ずっと聴いていたかった。ずっと聴いていたいなら自分が鳴らせばいいと考えるような短絡的な子供だった。

 

 そして、誰かと何かをできるような器用さを持ち合わせていない子供だった。こっそり軽音楽部を覗きに行ったこともあったが、そこは別世界の人たちの世界にしか見えなかった。地元のスタジオに「タノモウ!」と乗り込む勇気もなかった。中学でやっていたからと選んだ部活やら受験やらで、次第に熱は忘れられていった。

 

 

 

 

 学校を卒業して実家を離れてから、コンサートやライブを観に行く機会が増えた。始まる前はおっかなびっくりで、終わった後は虜。はじめてライブハウスに行った日のこと、はじめて野外で演奏を聴いた時のことは、今も鮮明に覚えている。

 

 前よりいろんな音楽を聴くようになり、友人との話題に音楽が登場する回数も増え、楽器を楽しんでいる友人にも出会った。それでも、自分がスティックを握るという発想は全く沸いてこなかった。今思えば「ヤッテタノシムモノデハアリマセン!ミテタノシムモノデス!」という封印がされていた。

 

 

 

 

 社会人になってしばらく経ったある休日、発熱して、朝から晩まで布団の中にいた。できることも少なかったので、流行した時に書いた「やりたいことリスト」を引っ張り出してきて眺めていた。

 そこには「ドラムを叩く」があった。数年も前から想い続けていることが、「ハロクラインを乱す」のすぐ下に鎮座していた。数年前の熱は忘れられていただけで、ずっと熱いまま息を潜めていた。

 たかが風邪のなかなか下がらない高熱が布団の中に充満させた「もしかしたらこのまま」という考えが、治ったら行かなければならないと思わせた。

 ユカタン半島に目指すことに比べたら、近所のスタジオに乗り込むことは驚く程簡単だった。

 

 

 

 

 ドラム教室に通い始めてもうすぐ1年という頃。ベースに手を出して、ギターにも手を出した。ドラムの音と同じくらいベースの音に憧れていたし、ギターが作り出せる音はドラムでは作り出せなかった。

 上手い下手を棚の上に放り投げると、ベースもギターもとても楽しかった。夢中になって弾いた。全部に夢中になればなるほど、全部で時間が足りなくなった。大人になっても、器用にはなれていなかった。

 

 けど、「やってみる」というコマンドを覚えていた。ベースもギターも、憧れているだけでなく実際に弾いてみた。4人で楽器を交換しながら演奏した時、ベースもギターも歌も、自分より上手い人がいればその人にやってほしいという気持ちになった。ドラムだけが違った。誰がどんなに上手く叩こうが、「自分なら」が止まらなかった。結局のところ、誰かと一緒に奏でるなら、私がやりたいのはドラムだった。

 ドラムに落ち着くまでに一周回ることが必要だったけど、無駄になったものがあるわけではなかった。積極的消去法は、残るもののほうが多い気がした。 

 

 

 

 

 追及し続けることのできる趣味に、ずっと出会いたかった。ここ最近、時間が許す限り、スティックを握っている。

 もっと楽しくなりたい。音で気持ちよくなりたい。そのために、思ったとおりに動く手と足を手に入れたい。そのために。