イマイマココニ

ワタシガイマシタ

春の夜の夢をみていた話

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

 という有名な文句がある。平家物語の冒頭部分だ。これを思い出していた。

 

 先日の、長く親しんだものとの別れの原因を考えた時、あぁ私の「これくらいでいいだろう」が積み重なっていった結果かもしれないと思った。

 

 例えば、最初の頃は一張羅をとっかえひっかえしていたのに、いつのまにか、機能性重視で普段着ばかりになっていたこと。コスメが減っていき、前髪も巻かなくなっていったこと。

 例えば、最初の頃は相手がどう感じるか傷つかないかを念入りにチェックした発言をするようにしていたのに、いつのまにか、自分が思うことをそのまま言うようになっていたこと。素直というわけではなく、ただ自分の気持ち良さを優先したしゃべり。受け入れてくれる相手に甘んじて、照れ隠しで本心と違うことを言い続けたり。当初より相手の考えに近い考えをするようになっても、そうなったことを上手く伝えられていなかったり。

 例えば、最初の頃はアンガーコントロールに勤しんでいたのに、いつのまにか、イライラやさみしい気持ちをぶつけるようになってしまっていたこと。

 例えば、最初の頃は自分とは違うこの人がどういうことをするのかが興味深かったのに、いつのまにか、自分の思い通りに相手が動くように仕向ける自分になっていたこと。

 例えば、最初の頃は本当に悲しい時にだけ使っていた手段を、いつのまにか、いつも使うようになってしまっていたこと。

 例えば、最初の頃はこっちを向いてくれるだけで嬉しかったのに、相手が求めてくれるという快感に溺れ、いつのまにか、わざと振り払った手を握ってくれないと満足できないようになっていたこと。してほしいことをしてくれた時でさえ、一旦拒ないと受け入れられないようになってしまっていたこと。

 例えば、最初の頃は少しでも相手が心地よくなれるように努めていたのに、いつのまにか、これくらいでも心地よいと感じるだろうと無意識で手を抜くようになってしまっていたこと。に今になって気づいたこと。

 例えば、最初の頃は私が連れていく未来や二人で歩いていく未来を想像していたのに、いつのまにか、相手に連れて行ってもらう未来ばかりを想像するようになってしまっていたこと。

 

 相手も慣れていくことを求めていたのであれば、むしろ良いことも含まれているかもしれなかったが。相手が実は慣れないことを求めていた以上、すべてがどんどん悪い方向に突っ走っていたのかもしれない。

 

 私はいつのまにか、おごれる人になっていたみたいだ。

 楽しい楽しい春の夜の夢は明けてしまった。自分に都合の良い夢の中にまた戻ってしまうことがないよう、現実の朝を迎え撃つ準備をして、床に入るのだ。